MENU
詩太
u-ta
「穏やかな時間」をテーマに、詩や絵や物語の創作を行う詩人・画家。

詩から始まった創作活動は、水彩画・アクリル画・デジタル画・物語の創作へと表現の幅を広げ、さまざまな手法を用いて温かな世界観の作品を創り出す現在のスタイルに至る。

創作以外にも、これまでに30回以上の個展開催、詩画集出版、ライブペイント出演、人権講演、子ども向けワークショップ開催など精力的に活動を行っている。

福岡県出身、1987年生まれ。

story【絆】生後2ヵ月の息子とSIDS(乳幼児突然死症候群)で突然のお別れ。その時、家族が残したかったもの。

 

【SIDS】という赤ちゃんの病気を知っていますか?

 

 乳幼児突然死症候群(SIDS:Sudden Infant Death Syndrome)は、それまで元気だった赤ちゃんが、事故や窒息ではなく眠っている間に突然死亡してしまう病気です。
日本での発症頻度はおよそ出生6,000~7,000人に1人と推定され、生後2ヵ月から6ヵ月に多いとされています。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/sids.html

 

想像してください。

 

眠るまでは元気だった赤ちゃんが
朝、起きると息をしていないんです。

 

生まれて間もないのに、原因もわからず、突然お別れがやってくるんです。
考えただけで辛すぎます。

 

先日、
初めて、SIDSで子どもを亡くしたという方に会いました。
保育士をしてたから
もちろんSIDSについては知ってたけど、
当事者から話を聞くのは初めてのこと。

 

ほんとに病気の説明文のまま。
生まれてから2ヶ月と5日後の朝、
起きると亡くなってたそうです。


原因はわからない。

両親は
要因の可能性があると言われてるタバコも吸わない。
仰向けで寝かせてた。
母乳で育ててた。

原因のわからない乳児の突然死、
SIDSと診断されたそうです。

 

 

『琉成くんが生きた証を残したい。』

 

 

DSC_1960

 

4人兄弟の末っ子として生まれた
その子の名前は『琉成(るな)くん』

 

アトリエに訪ねてきたご両親から
琉成くんの名前で綴る言葉詩作品の制作依頼を受けました。

琉成くんが亡くなって四十九日目の日のことでした。

 

話を伺っていると
ご両親も
3人のお兄ちゃん達も
琉成くんのことを愛していたのが
痛いくらい伝わってきました。

でも、終始明るく振る舞う両親の姿が印象的でした。

 


 

 

DSC_1957

数週間、
琉成くんの写真を見ては家族の心を
想像していました。

家族が、亡くなった琉成くんにしてあげられる事ってなんだろう?

 

 

たぶん、忘れないことだと思う。

 

 

生まれた日のこと
産声

指をギュッと握ってくれた感触
やわらかいほっぺた

おくるみの匂い

初めておっぱいを飲んだ日のこと
目が合うと微笑んでくれたね

お風呂で気持ちよさそうな顔

笑った顔
泣いた顔
すやすや眠る顔

抱っこした腕の温もり

お兄ちゃんたちの優しい関わり

琉成が大きくなったらってワクワクしながら
きっとみんなで語ったよね?

最後に添い寝した夜
明日も当たり前に「おはよう」ってほっぺにチューできると思ってた

亡くなった日の朝
悲しみに包まれたこと

どんな天気だった?
お兄ちゃんたちも泣いたかな?

深い悲しみに包まれ
受け入れる間もなく
それでも日々は止まらず進んでいく

子どもたちの前では笑って
夜は涙を流した

夫婦で支えあったこと
今までにない子どもたちの成長を感じた瞬間がそこにあったはず

今、守るべきなのはこの宝なんだって気付いたよね

 

そのすべてを忘れないこと。いつまでも、何があっても。

 

そんな想いを込めて作品を書かせていただきました。

 

作品をお渡しした後、
送られてきた写真。

 

そこには、琉成くんが生きた証、
これからの家族の姿と絆が映っていました。

 

 

1469256221852

 

【絆】
重なる手の温もりが
命の大切さを伝えてくれた。
喜びに包まれたあの日のことを
忘れない。
悲しみに涙したあの日のことを
忘れない。
小さな幸せ
その一つ一つを
何があっても忘れない。

 

 

また一つ、自分にはない【経験】と出逢わせていただきました。
財産です。

ありがとう。

ご家族の限りない幸せと
琉成くんのご冥福を祈って

 

2016.7/25

詩太

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

Share it
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 家族皆で凄く待っていた待望の赤ちゃんです。それを歳だからおろしなさい!何て絶対に言われたくなかった。いくら1人目が早かったから(24歳の時の出産は普通です)、
    悪い事なんて何もしていなかったのに‼️ 健康面でも主人と共に気を付けて居ました。それでも11年振りの出産は体力的に厳しくて(悪阻が酷く)その後の義理母の事でも、義理兄の嫁と義理母の諍い事があり、そちらの方でも精神的にかなりまいってしまいました。娘たちにとても癒され、助けられての子育ては私にとっての大切な物(事)ですね。

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください